* 2017年度 円山野外公演のお知らせ *

今年もよろしくお願いします

5月・6月10月・11月と開催致します。


5・6月と公演が無事に終えられましたこと
皆様に感謝致しております。


次回は10月14日(土)pm3:00〜 公演致します。
皆様のお越しを心よりお待ち致しております。

 
 
  6月10日 円山野外公演 photo  
 5月13日 円山野外公演 photo 
 



公演案内

10/14(土)pm3;00〜

− 公演作品 −

中原中也作「無題」

大森基司作
「サナギを売っている店」

オーヘンリー作
「賢者の贈り物」

フルート演奏
奏者;矢木雅人


− 出演 −

遠藤久仁子
中武題
大西甫美


・諸事情により上演作品が変更になる場合が御座います。ご了承下さいませ。

 
 

  「セザンヌの道」


 セザンヌは、一滴の水だ。

  東九条の本屋の2階。小説や詩集が並ぶ稽古場に暗幕が張られ、そこが小さな劇場になる。あるいは、円山公園の桜の下。そこが舞台も客席もない劇場になる。
  それは何とささやかで、控え目なことだろう。しかし、ふと足を止めた人々に、セザンヌは種をまく。強い陽光に水たまりがなくなるように、いっときは姿が見えなくなっても、雨となり再び大地に降る。人々の乾きを癒す、それは一滴の水のようだ。
 

 セザンヌは、ひと筋の光だ。 

 遠藤久仁子さんら俳優たちが紡ぐのは、人から人へと語り継ぐべき物語だ。幸せになるために生まれてきた人々の苦境に寄り添う。人生の一瞬のきらめきを刻印する。国境も性別も超えて分かち合える共感の物語を、セザンヌは常に演目に選んでこられた。
 観るたびに、心打たれる。それが過酷な物語であっても、帰り道には不思議な幸福感に包まれる。私たちの人生を励ましてくれる劇団でもあるのだと実感する。夜を照らし、心に灯をともす、それはひと筋の光のようだ。


 セザンヌは、一本の道だ。

  長い道程は平坦ではなかった。劇団員の病や急逝など、志を試すように過酷だった。まるで十字架の道行だ。それでも、セザンヌは折れない。倒れない。その姿が俳優の卵たちを引き寄せる。研究生が次々と舞台に立つ。遠藤さんや浜崎さんの託すバトンは、しっかり次代へと手渡されている。素晴らしいことだと思う。
 35年間、一つ一つの舞台をありがとうございました。そして、これからの日々を心から応援しています。
 セザンヌは果てなく続く一本の道。その道はたくさんの人々の人生に続いている。
 
 井上理砂子
2016年


 私の交友録 「遠藤 久仁子さんと言うひと」   
 遠藤さんとお知り合いになったのは何時の頃かはるか昔だ。たぶん絵のことで悩み苦しんでいるときで、柏野にアトリエを設けて間もない頃だろう。絵の悩はいまも昔も変わらず涯まで続く様だ。そのころ私はレック京都というところの講師で女性に絵を教えていた。レック京都は二条城の堀川を隔てて向かいにあり、二谷英明と言う俳優さんが主幹であり、私は30歳半ばの頃のことであった。ハイドンと言う喫茶店はその教室の近くにあり、やはりそのころから音楽が好きであったようでよく通ったものだ。その頃はCDではなく、まだまだレコードの時代でもあった、教室へ行く時間調整によく行ったものだ。よく顔を出す私はハイドンのマスターと馴染みになった。ある日喫茶店の狭い空間で物怖じせず熱心に芝居をしている人がいた、それが遠藤さんと始めてお会いした機会であった。いまはそのハイドンもレック京都もなくなったが遠藤さんとの交友だけは続いている。遠藤久仁子さんは演劇人であり、彼女の友人と「二人だけの劇場・セザンヌ」を束ねる主催者である。その人は演劇にいまもむかしも変わらない情熱を持ち続ける人である。恥づべきことだが、私は遠藤さんに会わなければ生涯演劇には無知で終わっていただろう。お会いして間のない頃だった、誘われるままに米倉と言う人の演劇を見に行った。彼女の説明で演劇では約束ごとがあり客席から右側を上手(かみて)と言い左は下手(しもて)と言うことを教えられた。その場面は電柱が立ちその後ろに窓があった。上手から出てきた男はその背景の前で、いきなり独り言を話し出した。「この男 酒も呑まずに 独りでよく話せるモノダ・・・」これが私の演劇を観る初体験であり、その演劇がどの様なストーリーかは今となっては記憶から失せてしまったが、そのときのショックと背景は残像となって私の脳味噌にある。遠藤さんのしておられる芝居は「一人だけの劇場」でありご案内を頂きアチコチで一人芝居を根気よくされていた。私は時間がゆるす限り見せていただくフアンの一人となっていた。一人芝居とはモノローグで だれの手助けもなく語り出す「話芸」とでも云うのだろうか?観る人の脳裏に映像を描かせるものだろう。遠藤さん間違っておればご寛容いただきたい。その一人芝居をあちこちで根気よくされていたが、西大路九条を西へ桂川沿いの工場の二階で、その会場を根城に粘り強く、少数のフアンを相手に・・・身を投げ出しての熱演を繰り展げておられた。この期間は随分長かったように思う。その頃より相方 浜崎満さんという人と共に「二人だけの劇場・セザンヌ」の前進となる形となった。浜崎さんなのだが、モノローグを2時間くらい続けるツワモノでそのお二人に、慕い集ってくる若者たちで「二人だけの劇場・セザンヌ」は構成されるようになり、いまも続けてられるが円山公園の桜の前で無料で公演をもされている。遠藤さんは尽きない演劇への情熱はいまも変わらず持ち続け、いまは新しく映像の方にも幅を広げて高林陽一監督とともに、「セザンヌ」は映画創りにも彼女の率いる軍団は、個性を広げ独特の映像を磨き上げられた。高林監督という方は玄人好みのする、知る人ぞ知る渋い映画を創る人であり仔細は知らないが、お互いの引力が牽きつけあったのであろう。「涯への旅」という映画をお創りになり、これは世界の注目を受けBest Director賞(最優秀監督賞)をお取りになられた。人は涯への旅を生きている、昨日も今日もそして明日は?と言うのがそのテーマであり各々が涯へ行く旅人なのだ。これは避けることの出来ない生き物の運命(さが)である。その中で遠藤さんのモノローグは言語の壁を越え「賞」の対象となり受賞された。フアンの一人としては大変嬉しいことだ。その少し前からご夫君のお父さんの営む本屋さんの二階を改装して演劇道場のようなものを造られた。何回かオジャマしたがフランクでフレンドリーな直接(まじか)にその公演が或いは映画が観られまた終了後われわれと直接話す機会でもあるこのアケッピロゲの芸術家ぶらない彼女のスタンスに親近感を覚えるのは当然である。
多分、遠藤さんが私の個展に来てくれた時だろう。まだ私の家内は生きており、来客に茶でも出していたのだろう、帰宅後「遠藤さんからはオーラが出ている・・・」
と云っていた遠藤さんのオーラはその人柄からキゾラなくても自然と出るオーラなのだろう。
(画家 菅井滋円)
2009年